海に還る。

愛するモノ全てに、真剣に向き合っていたい。/舞台やライブの感想を主に書きます。

刀剣男士・加州清光(+安定)についての考察まとめ

刀剣男士・加州清光についての考察まとめ

 

2年前に上げてた考察

を再編集した①と、その後から今までの考察②。

極が来る前にまとめて上げときたかったので……

集合体説が合ってることを願っています……

(というかミュ単騎で気持ちが荒れてたのがやっと落ち着いたので、単騎と向き合ってミュ清光さんについても考えようと思って……)

 

 

 

※この記事は、ゲーム内の台詞や回想のネタバレを含みます。

2018/06/12現在までに実装されている極ネタバレを含みます。

また、このお話は一個人の考察であり、原作・公式の設定がこうだと断定するものではありません。

 

このお話は、我が本丸の加州清光を確立したくて、刀剣男士・加州清光を理解する為だけに始めた考察であり、妄想の産物です。

まとめるの上手くないので読みにくかったらすいません。

 

 

『刀剣男士・加州清光とは何者か?』

『ブランド名であり固有名詞ではない加州清光は、集合体なのではないか?』

『何故愛されたがるのか?』

についてのお話。考察のようなもの。

 

この話は、下記を前提として進めます。

自己顕示欲とは

人間の三大欲求の次にある欲求とされる、『自分を見てほしい、褒められたい、認められたい等という欲求』ですが、

ここでは単純に『愛されたいという欲求』を、自己顕示欲として仮定

 

付喪神という概念(『物であり妖怪であり神様である』)→(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%98%E5%96%AA%E7%A5%9E)を踏まえた上で、

物は人に作られ、物は人に語り継がれ、いつも人の傍に在る

人は言霊という思念・信仰心(もしくは霊力)を使い、物に魂を宿す事ができる

神様とは人の創造物で、人ありきのものであり、人に信仰されれば強くなり、その逆も然り

(↑モノノ怪の怪異とかFateのサーヴァントみたいなイメージ)

 

刀剣男士とは

刀剣という物であり、付喪神という名の妖怪や神様であり、顕現し人の身を得た(不完全な)人間である

 

・この話では『審神者=主=人間』とする

 

 

▼1 『刀剣男士・加州清光とは何者か?』

俺、加州清光。川の下の子、河原の子ってね。扱いにくいが性能はピカイチ、いつでも使いこなせて可愛がってくれて、あと着飾ってくれる人大募集してるよ

あー。川の下の子です。加州清光。扱いづらいけど、性能はいい感じってね。

紹介文:新撰組 沖田総司が使用していたとされる打刀

(※1)

→自己紹介では、『名前・由来・性能・願望』のみを話し、自らは『沖田総司加州清光』とは言わない。

そして、公式にて“沖田総司加州清光だ”と、断定はされていない。

他の刀剣男士の殆どが、自己紹介で元の主の話をしますが、加州清光は一切しません(それどころか沖田の名すら呼んでない)。

ならば、

『刀剣男士の加州清光』は『“沖田総司の”加州清光』ではないのでは?

新選組沖田総司という人物についての逸話』と『沖田総司が所有していた加州清光という刀剣の逸話』を元に『刀剣男士・加州清光』が作られたならば、

沖田総司が所有していた加州清光でなくとも、『新選組沖田総司について知っている』ことになり、また『沖田総司加州清光が知っている事を知っている』から、例え集合体であったとしても話を合わせられるはず。

新選組が由来の刀剣男士(大和守安定・和泉守兼定堀川国広長曽祢虎徹)と、新選組についての話ができるのは、実際に見たからではなく、その文献や人の思念・記憶(噂など)から形成された話を知っているから、という可能性。

追記①大和守安定の極で「刀剣乱舞世界では沖田総司が大和守安定を持っていた」と確定されるんだけど、図録見返したら『加州清光と同じく、扱いが難しく使い手を選ぶ。そのため値は安かったと言われている。』(※刀剣乱舞絢爛図録P81)と書かれているんですよ……

って言いたかったけど、待って~~断言されてないぞ??沖田くんのとこにきたよーって言ってるだけだぞ安定………今剣と同じ系統ともとれる?

(加州清光の考察を始めた頃に「当時の価値でいうと加州清光ユニクロで、大和守安定はシャネルぐらいのイメージ」って誰かが言ってたのを盲信するんじゃなかった……それはいまの現世での話であって、刀剣乱舞世界で採用されてるかはわからないんだった……)

追記②大和守安定の手紙で『沖田くんが倒れた。僕の知っているように。』(※極修行手紙二通目)って、「血を吐いて」とも「咳込んで」とも「熱で」とも書いてないんですよ……どうとでもとれる文章。そして「池田屋にきた」とも書いてない……

 

回想其の18『池田屋事件、裏庭へ』(加州清光長曽祢虎徹)にて

長曽祢「……先程、危うく顔を合わせそうになったな
加州「そーね。危ない危ない。……もしかして、未練でもあった?
長曽祢「……いや。どちらかと言うと、お前の方こそそうではないのか?
加州「そうねー。こんな時に血ぃ吐いてるんじゃないよ、とかもうちょっと大事に使ってよ、とか文句はあるけどさ」 ①
長曽祢「やはり、お前……?
加州「早とちりしない。それを言う資格があるのはこの時代にいる加州清光で、未来から来た俺じゃない。そうでしょ?」 ②
長曽祢「……
長曽祢「そうだな。ここから先、敵を通さぬことだけが今のおれたちにできることだ!」 

  (※1) 

沖田総司池田屋で血を吐いた説は、死亡時期を考えると合わないので創作ではないかという線が濃厚であり、現代では熱中症など他の病気の説が有力である(らしい)ので、加州清光がこの場面を見ていたなら、違う事を知っているはず。

ただ、沖田総司が血を吐いた説も、その時点で加州清光が折れていたなら、自分が見れなかった・知らない部分を、逸話で補った可能性もある。

(沖田総司に関しての諸説はwiki参照 → https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%94%B0%E7%B7%8F%E5%8F%B8 )

 

にしても、①の次の長曽祢の台詞はすごく違和感がある(話に脈絡がない)ので、「やはり、お前……?」に続く台詞を想定すると

A 沖田総司を救う為「歴史を変えたいのか?」

B 「お前は沖田総司加州清光ではないのか?」追記③史実がどれか解らないのか?という意味

になるけれど、この場合、『長曽祢は近藤勇が所有していた刀剣だと自己申告しているので、その場で何が起きたのかを知っている』はずなので、Bの線が濃厚か。

 

②過去の自分の事ならば『加州清光』とフルネームで呼ぶのはなく、『俺』でいいはずなのに、態々『加州清光』と言っている。

これは、『この時代(新選組沖田総司の元)にいる加州清光』=『未来から来た刀剣男士の加州清光』ではない、という事の暗喩なのでは?

現代では“沖田総司加州清光”と断定されているものは現存しない為、刀剣男士の加州清光沖田総司加州清光とは別の可能性が十分考えられる。 

(三条派の服は現存組が両袖、不明組が片袖で分かれているらしく、

新選組関連の刀剣男士で羽織を着てないのは加州清光堀川国広=不明組だからか?

→ 調べたら長曽祢も現存組だったんで確定か?

→ 大和守は不明だけど、どっかのお寺に在る説があるみたい……)

追記④大和守安定極でも、沖田総司の元を離れた後の事は書いてないから、御寺の説を採用してるのかも?

 

沖田総司の刀剣だった場合、『何故羽織を着ていないのか?』
池田屋事件新選組の名が通った事件=新選組の初期の話なので、 
A 始まりの始まりしか知らない、そこで折れた加州清光は、新選組自体には未練がなかったから羽織を着ていない

B 「新選組の最初しか知らない俺が羽織を着る資格はない」と思っている

のどちらかが考えられる。もし沖田の刀だったならBの方が有力か……

追記⑤ C 「集合体故に、新選組自体への思い入れが大和守安定ほどない」可能性

堀川国広極で、堀川は新選組副長土方歳三の刀という事よりも“和泉守兼定の相棒”という部分だけで顕現している事が解った。だから、加州清光が、沖田総司ひいては新選組に対して安定ほど特別な思い入れをしていなくても解る。

追記➅そうなると、大和守安定は“沖田総司の愛剣”という部分で顕現しているから、物語要素が強いというか、史実であったかどうかが問題なのではないっぽい?

刀ミュの作りから察するに、一つの軸ではなくパラレルワールドまで守っているから、刀剣乱舞世界線がそもそも本軸かどうかは解らない。ので、沖田総司が大和守安定を使っていた世界線刀剣乱舞世界線なのかもしれない。

 

また、何故『沖田総司が使用していたとされる加州清光』だったのか?
沖田総司が“剣術の天才”であったから、刀剣男士・加州清光を設定する上で、その能力は有益なものだった(というか設定しやすかった)のではないか。

(加州清光の容姿は、語り継がれている沖田総司の容姿と似ているともとれるし、新選組沖田総司って名前は加州清光を持っていた他の主に比べて有名だし、設定しやすかった可能性)

 

余談①6面池田屋の記憶にて狙われた加州清光(加州清光折大隊そして陽動作戦)は、『審神者の初期刀の一人であるから』という理由の他に、『沖田総司加州清光が史実より前に折れれば、新選組の動向が狂うこと(土方歳三の動きによって太平洋戦争の布石が変わる説)』や『太平洋戦争の関係者である東條が加州清光を所有していたこと』に加え、『池田屋事件新選組に入隊した大石が加州清光を所有していたこと』事も関係があるのでは?

(大石はその後鳥羽に行っているから、回想其の2『沖田の話』(大和守安定・加州清光)にて「ここが鳥羽…」って感傷に浸ってた大和守にあの反応だった可能性。そして、大石は伊東や坂本の暗殺に関連があるという闇……追記⑦もし大石が坂本龍馬の暗殺に関わっていたとしたら、加州清光にはその記憶もある可能性……)

 

 

ここまでの話で、

刀剣男士・加州清光は、少なくとも“沖田総司の”加州清光ではない』として、

加州清光はブランド名であり固有名詞ではない』ことを踏まえ、

刀剣男士・加州清光とは、沢山の加州清光の集合体である』場合も考えていきます。

 

 

 

▼2 加州清光が歴史を変えない理由

回想其の1『土方の話』(和泉守兼定堀川国広)にて

和泉守「てめえ言いつけを忘れたか (※1) から、

『今の主から「歴史改変は悪い事で、刀剣男士は正しい歴史を守る為に呼び出されたから、改変してはならない」と言いつけられている』と仮定。


和泉守「歴史は歴史、良くも、悪くも(※1)から、

『歴史は既に終わった事を記録するもので、もう終わった事を今更変えるも変えないもない。だから今(現在)与えられた生もしくは命を全うする』と思っていて、

和泉守兼定は『歴史は歴史改変しないという選択をしている』とする】

を前提として、

刀剣男士・加州清光は『沖田総司加州清光ではないから』という理由で歴史を変えないのだとしたら、
刀剣男士・加州清光沖田総司加州清光だった場合、『大和守安定に賛同し“歴史を変える”という選択』をしたか?
歴史を変える事自体には疑問も善悪も感じていない。歴史を変えたいと思う事は別にいいと思っている可能性があり、和泉守のように『歴史=終わった事』とは認識していない為、“歴史を変える”という選択をする事は十分にあり得る。

 

刀剣男士・加州清光沖田総司加州清光ではない場合(集合体説を含む)
上記の回想部分②(「自分には過去を変える資格はない」と思っている)から、

『刀剣男士の加州清光沖田総司加州清光ではない』から、歴史を変えられない、『変えないという選択をしている』のではないか?

「自分には資格がないから変えない」=「自分に資格があるなら変えるかもしれない」であって、それはつまり加州清光は“許し(刀剣男士の加州清光が過去を変えても良いという資格)”をもらえれば、何でもする(過去を変える可能性がある)』ということになる。

余談②性能は良いのに扱いづらい加州清光にとって、長く使ってくれる・ちゃんと手入れをしてくれる・手放さないで傍に置いてくれる(=愛してくれる)主は、貴重なはず。道具とは使われる事が前提なのに、加州清光にとっては使われない可能性も前提である為、そういう意味では『愛されたい』と願う事も筋が通っている。(沖田の所では帽子が欠けて刃こぼれして戦線離脱したし、東條の所では手放された上に東條の評判のせい(?)でしばらく主を持たなかったし、大石の所では主は若くで処刑されている)

やはり加州清光が愛される為ならば、『歴史を変えてもいい(構わない)』と認識している(『歴史を変える事も厭わない』)のかもしれない。

追記⑧この話に関して言えば、刀剣男士全員そうだろ!!としか言いようがない。ちゃんと図録の内容憶えとけ自分。

『精神と技を込められて造られた刀剣が人の形となった付喪神。神である彼らにとって、より神格の低い審神者は、自分たちよりも下の存在。しかし同時に、刀剣の持ち主でもある。刀剣自身にとっては神格よりも、自分の持ち主であることの方が重要なため、「あるじ」や「ぬし」という名称で呼ぶ。』(※刀剣乱舞絢爛図録P201)

って書いてる!!!!刀剣男士は主以外基本どうでもいいともとれる文章、思いっきり書いてる!!!!歴史を守るとか云々よりも、“主の”意見を重要視してるんですよ……

長谷部の『汚れ仕事も平気で行う。』(※刀剣乱舞絢爛図録P113)とか、刀ミュつはものどもがゆめのあとの三日月と髭切の会話とか、まさにそういうことなんだよね……極=主のモノになる……

 

 

▼3 刀剣男士・加州清光にとっての“愛されたい”の意味

俺、加州清光。川の下の子、河原の子ってね。扱いにくいが性能はピカイチ、いつでも使いこなせて可愛がってくれて、あと着飾ってくれる人大募集してるよ

俺、川の下の子だからさ。意外にそういうのも詳しいよ? 」 ③

俺、扱いにくいんだよねー。だーかーら、上手く扱ってね?

紹介文: 貧しい環境で生まれたせいか、綺麗にしていれば主に可愛がってもらえると思っている。

  (※1)

余談②の話の通り、

加州清光の言う『可愛がって』や『愛されてる』は、『着飾ってもらうこと』も含めて、『上手く扱ってもらうこと』や『ちゃんと手入れをしてもらえること』なのではないか。

生まれが川の下の子故に、加州清光にとって重要視すべきアピールポイントであるし(主にちゃんと伝わってるかは別)、『綺麗にしていれば~』は、毎日温かい御飯を食べて温かい風呂に入り布団で寝る“川の下の子以外”ならば態々『綺麗に』なんて表現は使わない。

例えば、『爪の色を塗ってもらう(ねんどろいど初回特典ボイス参照※1)』ことだったり、『撫でてもらう』ことも、同じで、加州清光にとっては『今までなかったもしくは他を見て羨ましがっていた、愛されているという状況』だった。(「よーし、デコっちゃってぇ!(※1)ってノリノリなのも解る)

 

余談③今の主のことを主呼びしない加州清光さんですが、 審神者就任一周年ボイス「ねえ、一年審神者やってわかったろ?誰が一番かって(※1)って攻めてきたのは、(付喪神としてなら一年なんてすぐだけど、)顕現し人の身を得て『審神者(主)という人を一年間という短くて長い期間近くで見てきた』からでは?

使ってくれる・手入れをしてくれるetcだけ、だけど、加州清光の願いは既に叶っています。他の皆にとっての当たり前が、加州清光にとっては当たり前ではなかったから(愛情という認識については他よりかなり甘いというか)、「てことは、俺って愛されてる?!なら、一番は俺だよね!」って感じなんじゃないかな。(そして初期刀を加州清光にした99.9%ぐらいの人がこのボイスで死んだ。私も死んだ)

ということは、いまはまだ主と呼んではくれないけど、一周年で主を主として認めた……ならば!!!!!!

極になったら、主と呼んでくれるのでは?!?!?!?!(超期待してる)

 

 

閑話休題

 

▼4 加州清光の根本の話、何故“愛されること”に執着するのか?

そして、何故人(審神者/主)に協力するのか?

回想其の2『沖田の話』(大和守安定・加州清光)にて
加州「そうねー。あの人、お前みたいな使いにくい刀好きだった分、体弱かったもんね。

加州「……そうね。ったく、俺たちみたいな刀の主は、長生きしてくれなきゃ迷惑だよ……。

(※1) 

物は人によって作られます。そして、人々の気持ち(思念)によって作られたもの=人の純粋な欲に一番近いもの=人の純粋な欲とは、自己顕示欲。ただ愛されたいという欲になる。 人の根源である“自己顕示欲『愛されたいという欲』”は、唯一全ての人間に共通するもの(誰でも絶対にあるといえるもの)だから、執着する。

(そもそも加州清光という刀剣がどのくらい出回っていたのか解らない(いくらネットで調べても出てこないので、やっぱり金沢で図書館巡りとかした方がいいのかな……)ので、本当の所は解らないんですが)戦線離脱して亡くなった沖田や大石や、売り飛ばした東條に加え、『扱いにくい分、扱えないにも関わらず手にしてしまった人(主)達が早死した可能性』も考えられる。 

刀剣男士・加州清光が集合体であった場合、死んだ主達を沢山見ていることで、『多くの人の手に渡った=人の生を多く見てきた=思念の増幅』もあり得る。何十(百)の刀が集まって為った加州清光なら、何十(百)人の思念が入っている(集合体の分、他より多い)という可能性がある。

 

刀剣の付喪神“刀剣男士”となって、人(審神者/主)に協力する理由は?

それは、 『(加州清光が)愛される為』この一点に尽きます。

加州清光は『長く大切にしてもらいたい』、『愛されていたい』と思っている。
分霊説の場合、量産される=多くの主がいる=長く沢山愛される→愛されたい加州清光的には万々歳なわけです。

 

 

 

ここからはツイートまとめなので、話は飛び飛びです。

 

極の手紙読み返しててさ、安定の見てたら、加州清光はやっぱり沖田さんの所には行かないんじゃないだろうか?と。 集合体説は勿論だけど、同田貫みたいに寄る事はあっても、基本的には浦島とかと同じ刀工の元へ行くんじゃないかな……

極修行自体が、過去に対する後悔や未練の話だけじゃなくて、核を自覚する事だったり前を向く事だったりするわけだから、加州清光に必要なものを考えると、ガッツリ沖田さんの所に行くってことはなさそう……寄り道ぐらいのイメージ

 

かわいいへの執着は、愛されたいから。かわいいは手段であって、目的ではない。扱いづらさは主との時間で乗り越えた。ならば、加州清光が行くのはやはり、愛されなかった川の下の子達の元、かな~と。

かわいいは手段だから、かわいいって言われたいわけじゃないんだよな……欲しいのは「愛してる」なんだよ。かわいい=愛してる、なら、かわいいと言われたいだろうけど。 加州清光の言う「かわいい」は「愛されたい」だから、多分「かっこいい」や「きれい」でもいいんだよ。そこ重要

 

刀剣男士の加州清光には、六代目清光の非人の生まれの記憶があって、着飾っていれば愛してもらえると認識している。 だから「加州清光は着飾っていなくても素晴らしい刀なんだよ」ということを教えるのが加州清光の主の永遠の課題。 だと思ってるんだけど、生まれや育ちが与える影響は凄まじいから、

加州清光は「着飾ってくれる人募集してるよ」と言うものの「着飾って可愛がる人」を、最終的には信用しないと思うんですよ。 「着飾って可愛がる」=「着飾らなきゃ可愛くない」になるから。 そしてあくまで「可愛くしているから大事にしてね」。自身で可愛くしているから、大事にしてね。なんです。

今の主が「加州清光は着飾ってなくとも麗しく、美しい刀である」と言って、 尚且つ“加州清光自身が「他人の評価より自分がどう思うかが大切だ」と気づくこと“が、極修行における課題なんじゃないかな……

人に蔑まれた過去があった。けど、人を蔑み見下す側にはなりたくない。ならない。だって俺は、大切な人を守る為に、扱いづらい俺を使って、人をちゃんと愛したあの人達の刀だから。 そんな決意をして「アンタを主として大切にしたい、愛したいから」って帰ってきてくれたらいいな……

 

安定が清光に「ブス」とか「気持ち悪い」とか言ってる作品めっちゃ嫌なんだけど、安定が「沖田くんの刀」を侮辱するわけがなくない?って思ってる。 あの沖田くん大好きで沖田くんの続きのような安定が、沖田くんの加州清光を愛していないわけがない。

清光も「うざい」以外は言わないんだよな~基本的にやっぱり同じ主だし大好きなんだよ~口喧嘩はするけど侮辱はしない。それこそ安定は清光のポリシー解ってるだろうし。

「可愛くしているから大事にしてね」ってことは、加州清光は顕現した瞬間からもう可愛いの。自分が可愛い事を知ってるの。

 

沖田組と土方組の関係が似すぎているから、加州清光が集合体な説が、更に信憑性を増したな。 存在自体が土方歳三の持つ和泉守兼定に依存する形(相棒)となった堀川と、沖田総司の物語に依存する形となった大和守安定。 そして、土方歳三を拠点とし十一代目と十二代目の兼定達が集まった和泉守兼定

これはもう加州清光は、沖田総司を拠点とし清光達が集まった加州清光…… 即ち集合体と言っても過言ではない。むしろ可能性としては95%以上、集合体説確定と言えるのでは?

追記⑧ミュ単騎でありましたね集合体説!!!! 

 

 

加州清光は「男の子」ってとこに、こだわってるよなぁ……マニキュアとか長い髪とかは、あえてって感じだ。

可愛くしている=着飾って=川の下の子だったから、綺麗にしてれば愛してもらえる(公式)

 

加州清光の扱いづらさの中に、刀としての価値もあるよな…… 本丸には名だたる名剣名刀がいて、その中で天才剣士の刀として居る加州清光は、河原の生まれも扱いづらい育ちも抱えて、初期刀として主と共に歩む最初の刀でもある。 国宝や名物と並んでつらいかもしれない、けど刀生の誇らしさもあるはず。

貧乏な生まれ、扱いづらいモノとしてあった育ち、元の作りや質、何もかもが違う。実戦刀として使われ、幾度となく研がれ、幾度となく折れてきた。そこには刀として生き、刀として死んだ、刃生を全うした誇りもある。

レア度の高い国宝とは比べ物にならない価値かもしれない。けれど、戦って死ぬことは、刀として在るべき理想の姿である。そして、初期刀として、主と一緒に歩み、主と支え合ってきた、初期刀としての矜持。

玉鋼の質や冷却材の質、それによる強度の差。河原者、カブキモノ。扱いづらい、使い手を選ぶ刀。使い手の力量次第で化ける刀。 沖田くんと戦いたくて助けたくて死にたかった安定と、沖田くんと戦い死んだ清光では考えが違いすぎる。清光は納得している。だから初期刀になれた。

加州清光が「美術品と性能」ならば、極では、 見た目の美しさ・美術品としての価値と、刀としての性能や使いやすさは、必ずしも比例せず、時代の移り変わりによって求められてきた美しさも性能も全く別物。 という部分に触れると思う。沖田総司加州清光と六代目の要素を多く受け継いだ集合体?

今代の主はどんな美しさを、どんな性能を求める?三年も見てきたんだから、俺を扱えるよね?ってなると思う。 修行先は、刀工六代目清光の元か、もしくは色んな加州清光のところ。両方かも。

 

 

ミュ清光さんは「俺のカワイイにフリルが入ってるタイプの可愛い派加州清光」だと思えば、向き合えるよ…… 我が本丸の清光は「俺のカワイイにフリルは入ってないタイプの男前かっこいい派加州清光」なんだよ…… 大丈夫、育ちの違い…個体差…

加州清光が集合体ならば、解釈がブレること自体が集合体である証であり持ち味だから、受け入れないというのは加州清光を否定してしまうことになるんじゃないか、と。 加州清光を愛してるから、どんな加州清光でも受け入れられるよう努力しようと思った。在り方は個体差だから。

追記⑨ミュ単騎と向き合ってミュ清光さんの考察するのは、別記事でしようと思います。

追記⑩三年間主と呼ばない加州清光、エモい。極で主~主~って言ってくれ頼む。

三周年の「俺達」は安定共々なのか集合体の加州清光達なのか、その辺も極でわかればいいなぁ……

 

 

 

追記⑪余談(我が本丸の話)

うちの安定が極修行言ってる間、

 

 

花丸で一週間ずつ時間遡行して現世まで来てたのびっくりしたよね。

それ実質50年は絶対帰ってこなかったやつやーん合ってた?!ってなった。

 

 

 

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

今の主が愛してくれてるって知ってる加州清光が極になるのを楽しみにしています。

 

 

ミュ単騎CD「見つめてくれるなら」をやっと手に取りました。

近い内にBDも買って、向き合って、考察したいと思います。

今年は絶対一回は生で観て、置いていかれないようにしよう。

 

 

 

 

 

 

▼2019/05(上のツイートまとめに入れてなかったものがあったので)

追記⑫

沖田さんのとこに行くにしても、
加州清光にとって必要なのは
沖田総司の死に立ち会うこと」よりも
加州清光の刀としての死に立ち会うこと」な気がする。

沖田さんのとこじゃない場合は
・刀工の元
・色んな加州清光の元
かな。

 

刀工の元・色んな加州清光の元なら、どちらにせよ「愛されるとは何か?」を学ぶんじゃないかな……
加州清光は三年半以上も審神者に愛されてきて、愛を受け取ってきた。だから、その愛をどう返すか?を体現するのでは……

 

沖田さんのとこで「加州清光の刀としての死に立ち会う」場合
→自身と向き合い、これからの在り方について考える

刀工の元で修行をする場合
→核(愛されたい理由)の自覚、愛されるとは?愛するとは?について考える

色んな加州清光の元を巡る場合
→扱いにくさについて向き合い、主との関係性を模索

 

シルエットからの予想(?)
ヒールはないor厚底(もしくは見えてないだけで健在)
イヤリングと髪留めと籠手は進化
肩に新しい装備
マフラーは健在
ブーツの形が変わる

裏地が表に出て赤が増えるパターンとかはありえる……

 

合体成功めっっちゃ久々に聞いた、そういえば清光は合体成功って言う……だから集合体なんじゃねぇかって思い始めたんだった、思い出した。

 

堀川が沖田さんに似て、清光が土方さんに似てるって話入れるの忘れてたな……色々見てたら忘れてるのいっぱいある……悔しい……

 

ミュ清光の可愛い推しだったのは、男前かっこいい極のフラグだった可能性……

フェイントに見せかけて攻撃、が得意な加州清光だからこその、フラグだった可能性まだある。

 

加州清光が極により主の解釈を細分化し混乱させてくるの超わかる

 

ポジティブな人が「清光は自分を愛せるようになって帰ってきた」って言ってるの見たんだけど、私は「清光はやはり自分しか愛してなかった。だから真に愛される為に主を愛すると決めた」と思ったんだよ。難しいね??

正直、ポジティブ解釈を自分の本丸に採用する必要は全くないんだけど、今まで色んな解釈を見て吟味して、自分なりに考えた結果の「加州清光は“加州清光が愛されていればそれでいい”」だったので、ここまでポジティブに考えられる人がいるんだ?!すごい……しかもわかる……って妙に納得してしまい、自分の解釈がブレそうで怖い。

更にネガティブなのは、極になってから「ああ、最初から清光は人間なんて愛してなかったんだなぁ」と思ったこと。これに関しては、何でそう思ったか明確な理由はないんだけど、台詞とか手紙見てて思った。
清光にとって自分を愛してくれない人間に価値はなくて、愛してくれて初めて意味を持つ。だから、主に好かれる・愛される為には、俺が主を愛さなきゃいけないんだ。って気づいたんだと思いました。
人に愛される為には、人を愛する。至極全うな考え方。加州清光はシンプルにそう考えて、受け入れたんじゃないかなって。

勿論ポジティブ解釈の、過去と向き合って沖田総司達に愛されていたことを知った~とかも、めちゃくちゃわかる。めちゃくちゃわかるんだけど、なんか違和感がすごい。だって結局沖田総司の名前を一度も出さなかった。その違和感は捨て置くべきじゃないと思うんだ私は。

過去と向き合おうとした。けど愛されなかった過去は、思い出したくない。忘れたい。捨てたい。
修行はしなくちゃ帰れない。愛されない。
なら、新撰組で剣技を磨いて帰ればいい。
私に送られてきた手紙には、そう考えて書かれたように見えたよ。

 

加州清光の極修行先・内容は明らかに余白で、過去すら余白のままなんだよ……
だから「一度死んで」だけど「リセット」じゃないと思う。

加州清光池田屋で一度死んでいるから、極修行で生まれ変わったのではないと思う。
ミュ単騎の表現からすれば、加州清光は集合体。だから実際、生まれ変わったのは「付喪神として顕現した時」なはず。

加州清光の未練は「愛されること」。愛されるとは“今”でなければならない。だから過去は捨てても問題なかった。

 

宗三左文字加州清光はたぶん根本的に性質が似てるんだけど、愛されてきた・愛されなかったの違いはやっぱり大きいんだよな……
宗三は極で「超えられないから、貴方と一緒に」ってなったけど、加州は極で「超えられないから、貴方の理想に」ってなった。

宗三は主への愛を伝えるのも受け取るのも不器用なままだけど、嘘はつかない。主の傍にただ寄り添っている。
加州は人生をかけた嘘つき。厳密には嘘をついているのではく全てを隠しただけだけど、嘘も言い続ければいつかは真になることを知っている。貴方の理想を叶えるから、俺を知らなくてもいいと。

主の理想を叶える=一番になれるって図式が加州清光の中で出来上がってしまったのが、何回考えても涙出てくる。自分が愛される為、主を愛して、主の理想を叶えるのは加州からすれば自然なのかもしれないけど、「貴方は貴方のままで美しいし、私は貴方が好きだよ」を伝えきれてなかった感じが……ああ…

私の人生における最大の後悔は「加州清光に貴方は貴方のままで美しいし、私は貴方が好きだよ。と伝えきれなかったこと」だけど、
ごく稀に出てくる冷静になった私が「何言ってんの????」って言ってくる。

 

前田家の時代からなら、幕末より相当前から記憶あるよね加州清光

加州清光が集合体だとして、どれくらい前から記憶があるのか?
2205年までだと、六代目~530年以上、初代~だと760年以上経ってる。
六代目からだとしても500年以上ってさぁ!!割と長いし、そんなに若い刀じゃないんだよ……どうなの??

六代目~2015年でも300年以上経ってるから、若いけど若くないよな。

 

私は男前かっこいい解釈の加州清光を愛してるけど、それはうちの加州清光が圧倒的に男前かっこいい解釈だからであって、全本丸の加州清光がそうだとは思ってないし、かわいいかわいい解釈も好きではあるというか、加州清光全般を愛していたいから否定したいわけじゃなくて、

けど加州清光の根本は男前かっこいいだと思ってる、というだけなんですよ。そこは解ってほしい。色んな加州清光が好き。もう加州清光であれば何でも好き。けど根本は男前かっこいいであって、かわいいかわいいではないのでは?と思ってる。かわいい解釈はかわいい解釈でかわいいからすき。

加州清光の根本は、川の下の子だったり新撰組だったりなので、どちらかというとガラ悪い方というか、それを武器にしてます感あるやん!!少なくとも育ちの良い箱入り息子とかではないから!!そう考えたら可愛いは世渡りする為の手段であって、男前で男臭くて気だるげ妖艶だけど実は熱くて深い愛を持つ

のが加州清光の根本でしょ…………そこからどうなるかはそれこそ、本丸での育ち方の差で、かわいいが振りきれる本丸も、気だるげ妖艶が振りきれる本丸も、男前かっこいいが振りきれる本丸も、併用してる本丸も色々あるんだよ…………

 

 

(↓2017/04のツイート)

「可愛くしているから大事にしてね」の意味がやっと解った気がする。清光は時代と共に代わり行く「普通」に憧れたんだ。大切な人と末長く幸せに暮らしたい、大好きな人達に囲まれていたい、嫌いにならないでほしい、そういう愛にまつわる誰もが一度は考えるような「普通の幸せ」に憧れたんだ。

6代目は自ら家を出て川の下の子になった、沖田さんとは最後まで一緒に戦えなかった、その後も扱いづらさ故に触れてもらえなかった、嫌われた、好きになってほしかった、振るってほしかった、愛されたかった、一緒に戦いたかった。今度こそ、大切な人に愛されて最後まで戦いたい、できれば末長く幸せに

川の下から見ていたあの子達は綺麗に着飾っていた、折れる瞬間見た最後のあの人は咳をして苦しそうだった、嫌悪の視線が向けられ誰も愛してくれなかった。だから、綺麗に着飾れば、守れる強さがあれば、主は愛してくれる。扱いにくさに目を紡錘って、かわいい俺を見て。愛されていれば、それでいいから

 

 

 

 

 

 

 

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