※この記事には、ゲーム内の台詞や極ネタバレ等を含まれます。
(加州清光以外の極/花丸・刀ミュのネタバレ含む)
一個人の考察・解釈であり、原作・公式の設定がこうだ、と断定するものではありません。
また、刀剣男士の成り立ちから考えて、史実・創作が織り交ぜた解釈であり、あくまで【刀剣男士・加州清光】を知り、理解する為にしている考察です。
刀・持ち主にまつわる逸話の信憑性などを、証明するものではありません。
※自本丸の加州清光の確立・強化の為に考えています。
※あなたはあなたの考察・解釈を大事にしてください。
極実装前・特の時→
刀剣男士・加州清光(+安定)についての考察まとめ - 海に還る。
極実装後すぐ→
刀剣男士加州清光極の解釈と感想※2018/07時点の簡易まとめ - 海に還る。
◇記事内の台詞等の引用元
刀剣乱舞-ONLINE- - オンラインゲーム - DMM GAMES
加州清光 極 - 刀剣乱舞ONLINE(とうらぶ) Wiki*
◆刀剣男士とは
眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる。
いにしえの精神と技の結晶である刀剣から生まれた最強の付喪神「刀剣男士」
精神と技をこめて造られた刀剣が人の形となった付喪神。
神である彼らにとって、より神格の低い審神者は、自分たちよりも下の存在。
しかし同時に、刀剣の持ち主でもある。刀剣自身にとっては神格よりも、
自分の持ち主の方が重要なため、「あるじ」や「ぬし」という名称で呼ぶ。
物に込められた想い・寄せられた想いが、刀剣男士を形作る。
連結により刀としての強化をし、習合により神としての強化をする。
刀剣男士にとって、極前は「序章※」
極修行から戻り、審神者のモノと成る事で「物語が始まる」
刀剣男士は極になる事で、真価を発揮する。
刀帳から見るに、極前と極では、別の存在となっている。(定義づけされた)
※刀ミュ(結びの響き、始まりの音)にて、 顕現~特Lv99まではあくまで序章(物語の初め)である、とされる曲があり、全刀剣男士に当てはまる事柄だと捉えています。
刀剣男士 team幕末 with巴形薙刀 序章 歌詞 - 歌ネット
刀剣・書画・骨董 (こっとう) などの価値をみきわめること。鑑定。目利き。また、その鑑定書。
推し進めた最後のところ。極限。果て。きわみ。
定めること。決定。契約。
書画・刀剣などで鑑定書のついていること。また、そのもの。
すぐれたものとして定評のあること。また、そのもの。折り紙つき。
◆付喪神とは
長い年月を経た道具などに神や精霊(霊魂)などが宿ったものである。
道具は100年という年月を経ると精霊を得てこれに変化することが出来るという。
「つくも」とは、「百年に一年たらぬ」と同絵巻の詞書きにあることから「九十九」(つくも)のことであるとされ、(中略)「長い時間(九十九年)」を示していると解釈されている。
◆刀剣男士 加州清光・特
1、刀剣男士の加州清光は、=沖田総司の加州清光(単体)ではない。
入手
「あー。川の下の子です。加州清光。扱いづらいけど、性能はいい感じってね」
刀帳説明
「俺、加州清光。川の下の子、河原の子ってね。
扱いにくいが性能はピカイチ、いつでも使いこなせて可愛がってくれて、あと着飾ってくれる人大募集してるよ」
キャラクター設定文
新撰組 沖田総司が使用していたとされる打刀。
貧しい環境で生まれたせいか、綺麗にしていれば主に可愛がってもらえると思っている。
大和守安定とは正反対に見えて似た者同士の喧嘩仲間。
公式Twitterの紹介
貧しい環境で生まれた彼はオシャレに気を遣い、綺麗な格好をしていれば主に可愛がってもらえると思っている。
口元のほくろがなんとも言えない妖艶さを物語っておりますね…!
自己紹介では、『名前・由来・性能・願望』のみを話し、自らは『沖田総司の加州清光』とは言わない。
他の刀剣男士の殆どが、自己紹介で元の主の話をするが、加州清光は一切していない(それどころか沖田の名すら呼んでない)。
沖田総司の使用していたとされる打刀、と書いてあるが、沖田総司の加州清光だ、と断定はされていない。
→そのことから、刀剣男士の加州清光は、=沖田総司の加州清光(単体)ではない、と解釈できる。
(花丸で短い挨拶・自己紹介の流れで「沖田総司の刀だったんだ」と言った回があった/刀ミュ天狼傳で「沖田くん」と呼んだ回があったが、大千秋楽ではなくなってた……という事はありましたが、ゲーム内では「あの人」「元の主」と言っているので、名前は呼んでいない・断定されていないと解釈しています)
また、沖田総司の加州清光の鍔として有名なもの(形)があるが、清光のはそれではなく、自身の刀紋が鍔となっている。単体あれば、有名なもの方になるだろう。
(有名なもの→加州清光 鍔で調べると出てくる四方にハートみたいなのがあるやつ)
其の18 『池田屋事件・裏庭へ』
長曽祢虎徹 「……先程、危うく顔を合わせそうになったな」
加州清光 「そーね。危ない危ない。……もしかして、未練でもあった?」
長曽祢虎徹 「……いや。どちらかと言うと、お前の方こそそうではないのか?」
加州清光 「そうねー。こんな時に血ぃ吐いてるんじゃないよ、とかもうちょっと大事に使ってよ、とか文句はあるけどさ」②
長曽祢虎徹 「やはり、お前……?」②
加州清光 「早とちりしない。それを言う資格があるのはこの時代にいる加州清光で、未来から来た俺じゃない。そうでしょ?」①・②
長曽祢虎徹 「……」②
長曽祢虎徹 「そうだな。ここから先、敵を通さぬことだけが今のおれたちにできることだ!」
①で、過去の加州=刀剣男士の加州でない事は、池田屋回想でも本刃が語っている。
池田屋にいる沖田総司の加州清光が、史実の新選組要素を多く含んだ刀で、沖田総司の加州清光(単体)が刀剣男士として顕現していたなら、羽織を着ていないのは不自然。
(現に土方を共通項としている和泉守は羽織を着ていて、新選組の伝承要素が強い安定も羽織を着ている。
逆に、新選組要素よりも二本差しの片割れ・脇差そのものの要素が強い堀川は羽織を着ていないので、羽織を着ていない加州は新選組や沖田がメインの刀剣男士ではないと考えると、辻褄が合う)
②の流れからするに、長曽祢と加州の会話は噛み合っていないようにも見える。
沖田総司が池田屋で血を吐いた説は、結核だとすれば死亡時期を考えると合わず、創作ではないかという線が濃厚であり、現代では熱中症など他の病気の説が有力であるので、沖田の加州がこの場面を見ていたなら、本当に血を吐いたのか?倒れた原因などを知っているはず。
長曽祢が言いたかったのが「やはりお前、史実を知らないのか(/沖田総司の加州清光ではないのか)」なら、その後の沈黙も筋が通る。
2、加州清光集合体説
六代目清光の打った刀が、新選組(あるいは沖田総司)の逸話を共通項として合わさった集合体、という可能性。
この場合、和泉守と似たパターンで『〇代目が打った刀の宿るものが〇〇という共通項として合わさることで今の形になっている』のではないか。
極でも本刃からの言及はなかったので、確定ではないですが、特・極・手紙・衣装から見て、刀剣男士の加州清光は集合体、とみて間違いないと思います。
◆六代目清光
延宝、加賀の刀工。加州清光としては六代目にあたる。寛文飢饉の影響や、刀の需要低下により生活に窮し、加賀藩の救済措置である笠舞村(現石川県金沢市笠舞)の非人小屋にいたことからこの名で呼ばれる。
https://meitou.info/index.php/%E5%8A%A0%E5%B7%9E%E6%B8%85%E5%85%89
天下泰平の時代、飢饉の影響や刀の需要低下で、生活は困窮であったが、六代目清光は、非人小屋に入ってまで作刀を続けた執念の人。
非人とは、江戸時代の差別階級で、死刑の後始末・屠畜や皮革加工・井戸掘り、芸能(能役者、歌舞伎役者)・行商・造園業・農耕などに従事していた。※1
人の体の作りや刀の切れ味に詳しかったとされ、清光の切れ味の鋭さに繋がっているだろう。
また、六代目清光は加賀藩主より刀匠としての腕を認められ、清光の名・前田家由来の梅鉢家紋の使用を許された。
「俺、川の下の子だからさ。意外にそういうのも詳しいよ?」
とは、※1の内容が考えられ、また
内番(畑当番) 「俺、汚れる仕事いやなんだよなー」
は、※1の事を思い出すから・思い出したくないから、だと推測される。
「いつでも使いこなせて可愛がってくれて、あと着飾ってくれる人大募集してるよ」
「……こんなにボロボロじゃあ……愛されっこないよな……」
「ちょっとは、可愛くなったかな!」
「よーし、デコっちゃってぇ!」
「修理してくれるって事は、まだ、愛されてんのかな」
貧しい環境で生まれたせいか、綺麗にしていれば主に可愛がってもらえると思っている。
貧しい環境で生まれた彼はオシャレに気を遣い、綺麗な格好をしていれば主に可愛がってもらえると思っている。
台詞や説明などを見ると、「貧しい環境で生まれ」「綺麗にしていれば」「綺麗な格好をしていれば」と強調されているように、六代目清光の影響が大きい事がわかる。
加州清光の言う「可愛がって」や「愛されて」は、【上手く扱ってもらうこと】や【ちゃんと手入れをしてもらえること】だと思われる。
「着飾って」「デコっちゃって」は、拵えや刀装の事であり、「主に選んでほしい/主の色に染まりたい」と思っている、とも取れる。
「お店、いいよなぁ……」
は、(極で判明する通り)夜店で売られていた頃の記憶を思い出した発言で、おそらく移動販売など雨風を凌げない簡易的な作りの店で売られていた自分を思い出し、常設でしっかりとした建物の中で売られているモノを羨ましがっており、刀剣男士として顕現した後も、モノとしての意識が他の刀剣男士より強く感じる。
◆元の主達
六代目清光が打った刀とされているが、9代目・10代目や12代目の説もあり、代数は不明。
池田屋事件にて帽子が欠け、修理に出したが不可能とされ、その後行方不明。
手入(中傷以上) 修理してくれるって事は、まだ、愛されてんのかな
修理されない=愛されていない、と思っている。
加州清光は反りが少なく、直刃に近い。突きに向いており、突き技を使わない者からすれば、折れやすいとされる。沖田総司は突きの名手だった為、むしろ使いやすく、愛用していたと思われる。
■大石鍬次郎が所持していた加州清光
六代目清光の打った刀。大石は、暗殺を主とした任務では「人斬り鍬次郎」と恐れられ、沖田と同様剣術に優れた刺客だった。坂本龍馬暗殺の嫌疑をかけられ、伊東甲子太郎殺害の罪で斬首刑に処された為、おそらく行方不明。(鳥羽の記憶や暗殺関連の記憶がある可能性)
おそらく戦では使用されていない。戦後手放され、東條の評判によりしばらく主を持たなかった。行方は不明。
新選組はその時代、嫌われ者あるいは悪役だった。その上で、病死や斬首で死亡。東條の時代、戦の道具は刀ではなく、戦争の指揮をしていた東條は最終的に絞首刑で死亡。東條も同じく、嫌われ者あるいは悪役とされた。
加州清光を所持していた元主達の人生から考えれば、加州清光には、愛された記憶よりも、冷遇された記憶の方が濃いと推測される。つまりは、愛されなかった過去。
また、扱いにくい分、扱えないにも関わらず手にしてしまった人(主)達が早死したり、死んだ主達を沢山見ていることで『多くの人の手に渡った=人の生を多く見てきた=思念の増幅』も考えられる。何十(百)の刀が集まって成った加州清光なら、何十(百)人の思念が入っており、集合体の分、その思念は他より多い可能性は十分にある。
戦衣装は、五稜郭へ行けた沖田総司(願望)とも取れるし、東條の時の軍服とも取れるので、六代目の要素が一番強く、他は個体差があると思われる。
そして、
大和守安定とは正反対に見えて似た者同士の喧嘩仲間。
(安定の)公式Twitterの紹介
そんな彼は自らを愛してくれる者を探す。
ログイン(読み込み中)
「僕を一番愛してくれる人は誰だろう?」
という事は、加州清光も自らを愛してくれる者を探している、と考えられる。
大募集してるよ
顕現した時点では、審神者が「加州清光を愛してくれる者」かどうか、わからないから、そうだといいなと思っての発言かもしれない。
加州清光の場合、刀工・元主の影響で愛されなかった過去の記憶が、安定よりも多く見られるので、極めてからのあの様子も頷ける。
以上を前提に、極の考察に入ります。
◆刀剣男士加州清光・極
修行先や修行内容について余白の多い加州清光は、政府の管理下にある手紙では、様々な事柄を意図的に書かなかった、と推測する。
歌仙極によれば「見聞きしたものをあまり詳細に書いてはならない」という決まり事が、政府によって言い付けられており、手紙で書ける事には限度があり、全振必ずしも心の内を100%語っているわけではない、という前提で進めていく。
刀剣乱舞において、本丸毎の物語を重視しているからなのか、回想や手紙には矛盾点や余白が多いので、行間を読み、考察していく。
修行先のルートはおそらく【六代目清光→新選組(沖田・大石)→新選組→東條~現代】※2だと推測される。前半三か所は、とりあえず見てきたぐらいのイメージ。
東條の居た太平洋戦争の時代(やそれ以降)にも時間遡行が可能だとしたら、最初に寄った可能性がある。太平洋戦争の期間は1941年12月8日(日本時間)– 1945年9月2日(または8月15日)とされている為、(花丸の安定と同じく)その後移り行く世界(近代~2204年)を見てきた可能性も十分にある。
また、衣装決めの期間があるとするなら、後半は【新選組→六代目清光→東條~現代】の可能性もある。が、手紙に書かれているのは、後半の【新選組→東條~現代】だと思われる。
1、三通の手紙
一通目
やっほー、元気してる? 俺は元気してまーす。
二通目
そろそろ俺がいなくなって寂しくなってるよね。
修行はー……ま、うまくやってる。当然でしょ。
三通目
この前の手紙のせいで、心配してるんじゃないかと思ってさ。
冒頭から、審神者(主)を気遣っており、主が見せる反応も予測している書き方。
清光が普段から主の事をよく見ている証拠である。信頼関係というか絆を感じる。
三通の手紙・CMから見て「やっほー」は口癖。
一通目
修行の旅って言ってもさ、行くところの候補なんてそうそうあるもんじゃないよな。
結局、元の主のいた新選組に厄介になってるよ。
修行先は、指定の場所に「向かわされた」パターンと、指定の場所がなく己で「辿り着いた」パターンがある。また、何か所(何百年)も旅をしている刀剣男士は多い。
他の刀剣男士は、今の所、一切修行先の候補の話はしないが、清光は態々書いている。そして「結局」と書いている為、修行先の候補が多くあったのではないか、と推測する。
最初にルーツである六代目清光の所に行った後、新選組・東條を見てきて、最終的に新選組を修行先に選んだのだと思う。(個人的には、六代目清光の元では愛されなかった過去と向き合いきれず、新選組へ向かったのだと思う)
また、安定は手紙の一通目で
強くなるために旅に出たけれど、
結局僕は前の主……沖田くんのところに来てしまった。
と語っており、同じく「結局」と言っているが、文脈から考えて、清光のように修行先の候補が多くあったわけではないと思われる。
安定が「沖田くんのところ」と語る一方で、清光は「元の主のいた新選組」と語っており、またも沖田の名前を出さないのは、大石もいるからか。
池田屋事件の前後であるなら「いる新選組」でもいいはずだが、「いた」と過去形で言う為、(帽子が欠け修理不可能となった)過去とは既に決別しており、沖田総司に対して文句はあれど未練はない、と推測する。
二通目
修行はー……ま、うまくやってる。当然でしょ。
それにしても、変な感覚だよね、自分のすぐ側に、昔の自分がいるってのはさ。
……この後、あいつ欠けちゃうんだよなって、自分のことなのに、他人事みたいでさ。
なんだろ、これ。
沖田総司の加州清光単体であるなら、欠けた時の記憶はハッキリしているはずだが、ハッキリしていない。これも集合体の証明になるだろう。
回想を回収せずとも極修行はできるので、其の18で「この時代にいる加州清光で、未来から来た俺じゃない」と語った事と、繋がっているかどうかはわからないが、書き方から見るに、修行はあまりうまく進んでいない、もしくは、具体的な修行の意味を把握していないように思える。
(和泉守極手紙)二通目・三通目
そして、修行の目的ってのはきっと、剣術やらその他の技術を磨くことじゃねえ。
オレたちは、持ち主の思い、モノに寄せられる思いで形作られる。
修行の目的は、何が自分を形作る核なのかを自覚することなんだろう。
清光よりも先に極が実装されている和泉守はこう語り、全振の極の状況から見て、その内容は正しい。
一通目
まあ、俺をちゃんと扱えてた人の動きとか見れば、俺も強くなれるんじゃないかな。
和泉守の言う事が正しいなら、加州の言う「強くなれる」は具体的な修行の意味は把握していない事の証明になる。(六代目清光時代の愛されなかった過去と向き合えなかった結果、新選組を選んだなら、剣術等を学び“修行をする”のも、解る。)
二通目
それにしても、変な感覚だよね、自分のすぐ側に、昔の自分がいるってのはさ。
……この後、あいつ欠けちゃうんだよなって、自分のことなのに、他人事みたいでさ。
なんだろ、これ。
修行先の新選組、池田屋事件の前に、刀剣男士の加州清光は沖田総司の加州清光単体ではない事を自覚し、それを受け止めたのだと推測する。
回想を回収していた場合は、回想時点で気づいているだろうし、おそらく顕現した時から薄々勘付いてはいたか、完全に気づいていたと思われるが、完全に受け止めたのは修行先だろう。(自身の言動によって、修行より前から気づいていた可能性は高いし、この辺りは本丸によって差があると思う)
三通目
柄にもなくあーだこーだ考えちゃったみたい。
審神者(主)的には、その「あーだこーだ」の部分を詳しく知りたいのだが、教えてくれないのが加州清光なので、考察するしかない。
特の考察(上記)にも書いたが、刀剣男士の加州清光が沖田総司の加州清光単体でないとするならば、六代目清光が打った刀の集合体であると考えるのが妥当だ。
公式で集合体だと確定しているのは、同田貫正国・千子村正・和泉守兼定である。
同田貫は、固有の持ち主ではなく、同田貫と呼ばれる数多の実戦刀を所持していた者達の元へ向かい、己に求められた強さを自覚した。
和泉守は、集合の共通項となる土方歳三の元へ向かい、剣技等の技術ではなく、己の核を自覚し、感傷と決別した。
村正は、主家殺しの妖刀村正と主家を乗っ取った大名とは噂や創作であり真実ではない事を知り、真実は主と自身が知っていればいいと、己の在り方を決めた。
加州清光が集合体であるならば、手紙の様子からするに、この三振のパターンを合わせた形ではないだろうか。
求められた強さ = 天才剣士と言われた沖田総司(達)の強さや技術力
己の核 = 六代目清光達の記憶(愛されなかった過去)
感傷 = 帽子が欠け、修復不可能とされたこと
己の在り方 = 可愛がってもらえるよう、ずっと好かれるため、愛されるために戦うということ。主が誰に嫌われても自分は主を愛し、死んでも愛し続けるということ。
それが、加州清光にとって、今できること、だと推測できる。
三通目
今できることが大事なんだよな。
歴史は変わらないし、変えられない。
でも、俺があんたに今以上に愛してもらえるように変わっていくことはできる。
刀帳説明
他の誰かが扱いにくいって言っても、今の主にとってそうじゃなきゃ、それでいいよね
清光は刀でモノだから、主に合わせてカスタマイズする事は、当たり前だと思っている。(人間同士なら、好きな人に合わせて変えるとなると、自分の意思がないように見えたり、自己犠牲に見えるから)【清光の意思<主の望み】になるように見えるが、【主の望む形になること=清光の意思】になる為、審神者(主)的にはその在り方を受け止めるのが最善だと思われる。
刀帳説明の声色(特に「それでいいよね」)が、どうしても諦めに聞こえるので、考えていく。
(村正の手紙)三通目
思うに、人は真実など求めていないのかもしれません。
己がよければ、どれだけ真実を歪めても構わないと思っているのかもしれません。(中略)
で、あるならば、ワタシも、世間の言うような妖刀になるべきではないのでショウね。
真実はワタシ自身と……そう、できればアナタが知っていればそれで充分デス。
村正の手紙や、蜂須賀の手紙(修行先)・破壊ボイスから考えれば、モノに寄せられる思いが強く反映されている刀剣男士は、自身の真意と在り方に差がある。
加州清光の隠蔽値の高さ=嘘をつくのが上手い・真実を隠すのが上手い、とする(詳細は下記)と、清光は真実(あるいは真意)を隠した、と考えられる。
加州清光が集合体ならば、史実における「持ち主の思い」よりも、後世の創作における「モノに寄せられる思い」が大部分を占めており、「沖田総司の加州清光単体であると思われている加州清光」は、真実ではないことになる。
結局の所、加州清光が沖田総司の加州清光単体なのか、集合体なのか、本刃から(今の所)明かされていない、という点で、どちらの可能性も否定できない為、少なくとも真意は隠していると推測される。沖田総司の加州清光が好きな主には、沖田総司の元に行ったんだと思わせて、 集合体の加州清光が好きな主には、沖田総司達の元に行ったんだと思わせてる。
何故真意を隠すのか?については、「今愛してくれる主に、嫌われたくないから」だろう。愛されなかった過去や、真実と理想のギャップを知られれば、どう思われるかを考えた結果、変わるしかない・変えるしかない、と思ったのかもしれない。
■隠蔽値
上記の【加州清光の隠蔽値の高さ=嘘をつくのが上手い・真実を隠すのが上手い】について。
加州清光の必殺と隠蔽の初期値は打刀中トップ。特の最大値では、打刀の中で、必殺・隠蔽が単独1位。
偵察は鳴狐と同率1位。(全刀剣中では、必殺が単独9位、隠蔽が単独6位)。
また、実装されている打刀極の中で、偵察が鳴狐と同率1位。隠蔽は大和守安定極と同率1位。
必殺値は元々忠誠値だった。
忠誠:君主・主君・主人に仕える、また、属する国・団体に対する、いちずな真心。
偵察:こちらの既定方針のもとで行動するため、敵(相手)の様子・動きや地形などを(こっそり)観察・観測し、その情報をとること。ひそかに敵の動静などを探ること。
隠蔽:ある物を他の物で覆い隠すこと。見られては都合の悪い物事を隠すこと。故意におおいかくすこと。人の所在、事の真相などを故意に覆い隠すこと。
このことから、相手の様子を伺い、嘘をついたり真実を隠したり、駆け引き的な事が得意、と解釈している。
(真意を隠していると思われる刀剣男士の隠蔽値が軒並み高い事から、こういう考えに至った。)
全体を簡略化すると、こういうことかと。
生まれは変えられない
→綺麗にしていなければ愛されない(核の自覚)
→真実を取り繕った綺麗さだけはダメだから、性能面を強化の為、新撰組へ
→過去や正体を隠してでも、今愛されるならばそれでいい。
主の理想を体現する事で、愛されるならばそれでいい。
新撰組は、刀から銃や砲の時代へ移り変わる中、最後まで武士(侍)として戦い続けた。つまり、時代の変化についていけなかった(いかなかった)。だから、負けた。
→清光はそれを見て「選ばれ続ける為には、変わっていかなければならない」と思った。
極実装日は6月28日。前日の6月27日に函館戦争(旧幕府軍(新撰組)の敗北と武士の世の終わり)が終わり、新撰組が見る事のできなかった新しい世界が始まる日である。
手紙三通目
俺、もうすぐあんたの一番になるから。
と、決意したものと推測する。
歪められた真実を明かすよりも、今の主の理想とする加州清光になる事で、扱いづらいとは言わせず、今以上に愛してもらえるように変わっていきたい。と、主の理想を叶えるという決意をした、のではないだろうか。
明確な修行先・何を見て何を感じたのか、そこから何を思い、結論に至ったのか、という部分は、清光が隠した所だが、清光が「今の主を愛しており、これからもずっと愛されていたい」と思っている事は、紛れもなく真意である。
また、一人の主に長く愛された事がない、ということは、一人の主を長く愛した事がない、とも言える為、審神者(主)への愛情が重く深いものになるのも頷ける。
2、帰還後
愛してくれる人(審神者)を見つけたと気づいて、
これからの為に、極修行へ行って過去と向き合い、決心して帰った来た。
愛してくれる人を、愛したいと思った。
そして、主に対しては、その愛を言葉で伝えるようになった。
刀帳説明にて「いつでも使いこなせて可愛がってくれて、あと着飾ってくれる人大募集してるよ」と言っていた清光が、
主に可愛がってもらえるよう、旅をしてきた加州清光。
他の誰かが扱いにくいって言っても、今の主にとってそうじゃなきゃ、それでいいよね
と、加州清光を愛してくれるかわからない者達よりも、今愛してくれる主を重視するようになったのは、いい変化だと思う。
(極前)破壊
「俺……最後まで愛されてた……?」
(極)破壊
「死んでも……、愛してっから…………」
「愛されたい」と願っていた清光が、「愛したい」と思えるようになり、「愛してる」と言えるようになったのは、大きな変化であり成長である。
一人に長く愛された事がない清光は、極適正Lv70(以上)まで戦わせてくれた・使ってくれた主、三日三月三年と一緒に歩んでくれた主を見て、深い愛情を感じている。序章、正に起承転結の起の部分だ。
(極前)本丸(負傷時)
……こんなにボロボロじゃあ……愛されっこないよな……
(極)本丸(負傷時)
痛ってぇ……あのさ……修理してくんねぇ?
と、言えるようになったのも、主に対して心を許しているからだと察する。
極になってから、全体的に口が悪くなるが、そっちが素だろう。(鯰尾の件然り)
それも、主に心を許し、身内認定しているからで、多少砕けた話し方でも大丈夫だと、清光が判断した結果だと思う。
(Lv70以上まで育ててくれた主が、言葉遣い程度で急に態度を変えるような人ではないと判断したのではないだろうか。もしそれで態度を変えられたとすれば、主が真実に気づいていない事が解る。だがそれを知っても尚、きっと主を愛し続ける清光は、本当に懐が深く、愛に溢れた神様だ。)
加州清光は、川の下の子だったり新撰組だったりなので、どちらかというとガラ悪い方というか、それを武器にしてます感がある。少なくとも育ちの良い箱入り息子とかではない。
そう考えると、「可愛い」は世渡りする為の手段であって、男前で男臭くて気だるげで妖艶、だけど実は熱くて深い愛を持つのが加州清光の根本だと、推測する。
(そこからどうなるかは、それこそ、本丸での育ち方の差で、かわいいが振りきれる本丸も、気だるげ妖艶が振りきれる本丸も、男前かっこいいが振りきれる本丸も、併用してる本丸も色々あるんだと思う。)
愛してほしいとただ願っていた清光が、愛したいと思えるようになったこと。
主に対して、猫を被っていたのが、素を見せるようになったこと。
そのどちらも、清光が感情や愛を自分のモノとして捉えられるようになった結果、だと思う。
愛されてる自信(自己肯定感)はまだないから、愛されてるって確認したり、言い聞かせて、外堀を埋めている感じがする。(この話は下記の刀ミュにおける加州清光の欄でします)
■戦衣装
籠手の面積が増え厚くなり、左肩にも武具が増えた。更に、手袋をつけて爪も隠した。
腕や手を隠す=本心を隠している、隠したい心理
主への愛情や他への嫉妬心は表に出すようになった。やはり隠したのは、愛されなかった過去の事だろう。
■戦衣装 加賀友禅・金箔細工
綺麗に着飾っていれば愛される、と思ってる事は変わってない。
乗り越えられたなら、着飾ってないと思う。愛されなかった過去を思い出す必要がないから。
加賀友禅・金箔細工で着飾る事=加州清光にとって愛されている事の象徴
今の主に愛されていると知って、着られるようになった、と考える。
■戦衣装 花言葉
どれも加州清光らしいなと思う。花言葉の由来等もエモいので是非検索してみてほしい。
胸元の装飾 (紅梅か赤い梅)
→梅全般「高潔」「高潔な心」「忠実」「忍耐」「不屈の精神」「思いのまま」
→紅梅「忠誠」「優雅」
赤「優雅な人」「優美」ピンク「清らかさ」
コート裏 (ピンクか赤)
→椿全般「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」「控えめな優しさ」「誇り」
赤「控えめな素晴らしさ」「謙虚な美徳」「気取らない優美さ」
ピンクの花の椿の花言葉は「控えめな美」「控えめな愛」「慎み深い」
ブーツ前側
→水仙全般「自己愛」「うぬぼれ」「エゴ」「神秘」
黄色「もう一度愛してほしい」「私のもとへ帰って」「私の愛に応えて」
ピアス
→薔薇
赤 「あなたを愛してます」「愛情」「美」「情熱」「熱烈な恋」「美貌」
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→ザクロ「完璧な友情」「愚行」「愚かさ」
花「円熟した優雅さ」「愚かしさ」
実「愚かしさ」「結合」「愛の喜び」「一致」「女性的原理」「希望」「不死」「愛」「連合」「処女性」
最初期に出てたグッズで、清光と安定のタペストリーの花が彼岸花だったと記憶しているんですが、検索しても出てこないので、余談として載せておきます。
→彼岸花
「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」「情熱」
3、台詞
から感じる愛……
鍛刀
「新しい刀が生まれたんだって。だからといって、俺のこと、忘れないように」
主への独占欲。けど、仲間が増える嬉しさも知っている。今までは笑いながら言ってた事を、不機嫌さを隠さずに言えるようになった。つまり心を許している。
あんたの刀になったんだから、この想いも受け止めてくれるよね?と。
けど、俺が居るんだから他の刀なんて要らなくない?とは言えなくて、忘れないように、までしか言えない、仲間思いな優しい刀。
修行見送り
「あちゃー。あんたのこと嫌いになったかな。……大丈夫。俺だけは愛してやっから」
極=主の刀になること、と修行を終えた清光は知っている。つまり、嫌いになるわけがない(むしろ好きが溢れる)事を知ってる。
ということは、これは意地悪を言っているということになる。意地悪言えるくらい、主を身内認定して、心許せるようになった(成長した)。
極修行の間(主の体感四日間)、主が俺以外のことを考えるってのが不服で、「俺が居るんだから別に行かせなくてよくない?」とか「俺以外にまたあんたの刀が増えたら、俺は一番じゃなくなるんじゃないか」とか、そういう不安もあると思う。
そして、もし万が一修行から帰ってこない奴が居ても、「俺だけはあんたを愛してるよ」「寂しくないよ、俺が傍に居るからね」と伝えてくる愛の深さ。(立ち去り機能が実装されていたらこの台詞本当に怖かったけど、立ち去り機能は実装されていないから、安心して聞けますね)
破壊
「死んでも……、愛してっから…………」
修行見送り同様、主への独占欲と、「絶対主を一人にさせないし俺が居るから大丈夫だよ」と、どこまでも主への愛に溢れている。
「俺はあんたの隣で生きられなくても、俺を選んでくれたあんたの傍にずっと居るから。俺を愛してくれたあんたを、ずっと愛してるから。俺がいなくなっても、俺あんたを見てるんだから、ちゃんと生きてよ」の略かもしれないと思うと、死人に口なしの最上級という気がする。長谷部もそうだが、清光も黄泉の国だろうが地獄だろうが来世だろうが、ついて行きそうな感じがある。
本丸
なに?……汗のにおいがするね
清光が汗臭さを不快に感じていないのは、道場や戦場で刀が使われていると当たり前にする匂いだから、だと推測する。清光からすれば、汗の匂いは使ってもらえている証拠なのだ。
ちなみに、匂いを嗅ぐ心理は「馴染みのある匂いを嗅いで精神的安心感を得る(リラックス効果・不安解消)」「構ってほしい・好意に気づいてほしい(愛情表現)」「自分のものだという確認」とされている。
極前 攻撃 「フェイントに見せかけて攻撃!」
会心の一撃 「これ、が、本気だ!」
極後 攻撃 「こーげき!」
会心の一撃 「これからっ、本気っ、だ!」
清光は、嘘はついてないけど、 心の奥底、過去を隠すと決めたから、フェイントする(はぐらかす)必要がなくなったんだと思われる。
開戦(出陣)
そんじゃ、愛されるために戦うか、ってね!
時間遡行軍は、刀剣男士になれなかったモノ、あるいは成れの果てである。
清光のこの台詞、時間遡行軍にとっては、とてつもなくつらいものなんじゃないだろうか。
愛されなかったモノの前に、愛されているモノが立ちはだかるという図。しかもそれは、元々愛されなかった過去があるモノ。
そう考えると、敵前でわざと挑発する加州清光、強すぎる。
「俺も昔は……夜店で売られてたんだよなぁ……あ、いや。何でもない」
よくよく考えたら、夜店で売られていた時代を思い出し、主の前でポロっと口にしている時点で、愛されなかった過去と向き合えなかったのは明白であり、隠すと決めたからといって、全てを完璧に隠せているわけではない、と考えられますね。
■関係性の相似
加州清光と大和守安定・和泉守兼定と堀川国広の関係性は相似的である。
極の手紙にて和泉守兼定は集合体/堀川国広は伝承で形作られていると判明したが、関係性の相似を考えると、加州清光は集合体/大和守安定は伝承で形作られている、と考えられる。
刀剣乱舞の世界において「沖田総司が大和守安定を所持していたか」は、解らず仕舞いだが、花丸の安定が沖田の死亡後も先の時代(現代)に新選組が語り継がれる様子を見てきた事や、極後の沖田総司の続きのような姿を見るに、史実よりも伝承を重視しているように思える。(沖田が安定を所持していた説は後世の創作である可能性が高く記録もないが、それを言い出すと、清光の記録すら現代では創作ではないかと言われていて……刀剣男士は付喪神であるが故に、史実よりも伝承が優先され形作られているはずなので、刀剣乱舞世界において沖田が安定を所持していたかどうかは、重要ではないのかもしれない)
清光は「あんたの一番に」と主を想い「今以上に愛してもらえるように変わっていく」と、主の求める加州清光像を体現する(理想を叶える)決意をする一方で、
安定は沖田に対しての未練を、忘れるという形で断ち切り「あなただけの刀に」と主(達の望んだ沖田総司の続きのような姿)の理想を叶えると決意しており、そういう意味ではやはり似た者同士だという事がわかる。
新選組刀自体がそもそも史実より逸話ベースで、長曽祢だけは史実の近藤勇の思念が強く反映されていると思われる。
■関係性の相違
清光の極は宗三のパターンと似ているが、極後の二振りの変化は全く正反対だ。
二振りの決定的な違いは「数多の人に愛されていた」か「愛されていなかった」か。
宗三は天下人達の刀で、常に勝者の元にあり、当然愛されていた。その為、魔王を乗り越える事はできなかったけれど、主の刀として変われる事はできるかもしれないという夢を持って、帰ってきた。
清光はというと、時代の嫌われ者達の刀であり、敗北を見てきた(愛されていなかった)。乗り越えられたかはわからないが、おそらく乗り越えられなかった。少なくとも、過去と決別し、主の為に変わっていくことを決め、帰ってきた。
二振りとも「変わる」という点では同じだが、宗三が「一緒に変わって」なら、清光は「俺は(一振りで)変わるよ」なのだ。
■余談
隠蔽値の話で【相手の様子を伺い、嘘をついたり真実を隠したり、駆け引き的な事が得意】と書いたが、清光の言動を改めて見ると、誘導するような問いかけで意識させているような気がしてならない。
清光を愛する主からすれば、当たり前に肯定する内容でも、清光が一番でない本丸だろうが清光は同じ事を言っているという点で、清光の決意の硬さが伺える。
極前
刀剣乱舞二周年 「祝、二周年。ここまでこれたのって、やっぱり……愛かな」
刀剣乱舞四周年 「祝、四周年。やっぱりこういう記念日を任せられるのは俺ってことだよね?」
審神者就任一周年 「ねえ、一年審神者やってわかったろ?誰が一番かって」
審神者就任二周年 「就任二周年おめでと。もう扱いにくいとか、関係ないよね?」
審神者就任三周年 「三周年、おめでと。俺みたいのをちゃんと扱えるのはやっぱ、愛……だよね?」
審神者就任四周年 「ほらほら、四年も審神者やったら、もう俺の扱いにくさが癖になってきたでしょ?」
極
刀剣乱舞四周年 「祝、四周年。やっぱりこういう記念日の顔は俺でしょ?どう?この顔……へへ、なーんてね」
審神者就任一周年 「就任一周年おめでと。やっぱり俺の扱い、前よりうまくなった?」
審神者就任二周年 「就任二周年おめでと。俺、もう完全にあんたに使いこなしてもらってるよな」
審神者就任三周年 「三周年、おめでと。俺みたいなのをちゃんと扱えるのは、やっぱ愛、だよね」
審神者就任四周年 「ほらほら、四年も審神者やったら、もう俺の扱いにくさこそ一番!ってなってきただろ?」
清光を愛する主からすれば「うん、そうだね」という内容だが、そうでなくとも同じ事を言っており、就任一周年で「誰が一番かって」と言っていたにも関わらず、手紙の三通目で「待ってて。俺もうすぐあんたの一番になるから。」と自身が一番だと微塵も思っていない所を見ると、そもそも初期からずっと、審神者(主)を落とそうとしているのでは……とも思えてくる。一番愛される刀で在れるように。(恋愛的な意味にも取れるが、それは本丸によるだろう)
そうだとすれば、相当賢い。最早洗脳だし、清光を愛する主は洗脳されてるのかもしれない。そんな清光も好きだ。
以上が、ゲーム内の考察です。ここまで読んでくださりありがとうございます。
ここまでも既にド長いのに、まだ続くんかって感じですが、まだまだ続きます。
最後、感想まで書きます。マシュマロ置いておくので、意見・感想・解釈など、くださると嬉しいです。
清光極一周年(帰還日)に合わせる為、あんまり休憩挟まず書いているので、日本語が変だったりしたら後日直します。
おそらくここから、考察というより感想も増えていきます。というか後半ほぼ感想です。
ここからは、メディアミックスの中でも比較的加州清光の情報量が多い刀ミュを通して、考えていきたいと思います。
刀ミュの場合、2部曲は多少、対夢女仕様になっていると思いますが、
全体的には、全刀剣男士にあり得る可能性ではあると思うので、考えていきます。
(恋愛的な歌詞もあるけど、基本は主従関係なので)
◆刀ミュにおける刀剣男士と極
基本的に「君・あなた=審神者(主)」と解釈しています。
刀剣男士 team幕末 with巴形薙刀 序章 歌詞 - 歌ネット
刀ミュの曲の中でも、極を意識したと思われる一曲。
言うまでもなく、極へ向けての曲であり、全刀剣男士に当てはまると思われる。
刀剣男士 team新撰組 with蜂須賀虎徹 Signalize 歌詞 - 歌ネット
「君だけが気づいてくれればいい」
「君だけがわかってくれればいい」
→極で解らなかったこと、明確に提示されなかったことを、彼らは故意的に秘密にしている可能性。そして、主には知っていてもらいたいと願っている。
堀川国広:土方歳三の堀川国広は贋作という説。GHQに海へ廃棄された説。土方歳三は堀川国広を持ってなかった説。 武士の二本差しの片割れ(脇差)=兼さんの相棒、となっている事。脇差という概念そのものだということ。
和泉守兼定:土方歳三が堀川持ってなかったから、実は相棒の堀川国広を知らない。
大和守安定:沖田総司を忘れてはいない(記憶を失ったわけじゃない)ということ。
長曽祢虎徹:源清麿の刀としては、虎徹の名を語ることにどう思っていたのか。
蜂須賀虎徹:修行先が近藤勇(の長曽祢虎徹)の元だった説。破壊ボイスのアレ。
加州清光:愛されなかった過去と、それを秘密にしたワケ。数多の加州清光の集合体だという説。
刀剣男士 formation of つはもの BE IN SIGHT 歌詞 - 歌ネット
刀ミュの曲の中でも、極を意識したと思われる一曲。
序章とは違い2部曲だが、つはものでは今剣が極修行へ向かう為、全刀剣男士に言える事だと思われる。
「この心は君の片割れ」
「ここにいるよ君の傍ら」
→刀剣男士の物語において、極前はあくまで序章であり、極になってからが第一章だとすると、審神者(主)のモノになってから紡ぐ物語もまた重要。
刀剣男士の心の半分は主から貰ったモノ。
「目を逸らさない真実は君と見つけたい」
「この胸にある真実は君だけのモノだ」
→Signalize同様、刀剣男士達は、主が真実を解っていてくれればいいと思っている。
「始まりも終わりも君に捧げよう 幻 捨てて もう戻らない」
「離れないで baby 君だけに還ろう どんな旅も」
→始まり=極、終わり=折れる時。主を愛するモノの想い。
やはり、主との関係が重要視されており、主が知っていなければならない事は、案外多いのかもしれない。
◆刀ミュにおける加州清光
初期は猫を被ってる感じのかわいい解釈だったのに、今では男前かっこいい解釈で、一体清光さんの中でどんな変化があったのか、気になるところではある。
が、上記の考察でも書いた通り、極前は猫を被り主を観察していた状態だとしたら、清光さんはもう極修行一歩手前に見える。何なら極個体に見えるが、本編ではまだ行っていないので、まだ更にかっこよくなる。つよい。極前の猫かぶりかわいい解釈から、極一歩手前男前かっこいい解釈になったのは、加州清光の魅力全部魅せます的な事だったんだろうか。
(清光ソロの考察は別で上げる予定なので、今回は短めに書きます。)
元々、集合体説を意識し出したのは、ゲーム内の錬結「合体成功!」と、刀ミュ清光さんの解釈がコロッコロ変わるからで、「あれ?加州清光って確か固有名詞じゃなかったよな?」という所から始まっています。
そして、単騎において清光さんの顕現シーンの前に入るアレを見た時、「集合体で合ってたんだ」と思ったので、参考にしています。
刀剣男士 加州清光 kiss for all the world 歌詞 - 歌ネット
加州清光が刀剣男士になる前の話から、顕現時までの話。
ジョーカー=集合体としての顕現
だと解釈する。ダンサーズも清光の衣装に近い衣装を着ているのは、集合体の一部なのではないだろうか。
「for all the world」=「決して…しない」「金輪際」「どんなことがあっても」
「咎めたような約束・咎めたようなフリをしてた約束」は「どんなことがあっても、もう(人を)愛さないと決めていた事」だと推測できる。
そして、この歌詞の中でつらいのは、
「あなたがどんなに 何思おうと 此処は固く閉ざされている」
と言われている事。これこそが、上記の考察で書いた「愛されなかった過去」だと思う。前回の感想で書いたが、清光は愛されなかった過去を墓場まで持って行き、それを主は一生知る事ができないのかもしれない。(勿論本丸によるだろうが)
特~極修行の話。
「今まで見つめてきた誰とも まるで違うそのyour eyes」
集合体説が確信に変わったのはこの歌詞。
「誰とも」という事は複数居たという事であり、やはり沖田総司だけではない。
「僕を知らない君でもいいよ 見つめてくれるなら」
「僕を知らない君でもいいよ 求めてくれるなら」
清光の真実(集合体説)や愛されなかった過去を知らなくてもいい、と言っているように聞こえる。
過去(顕現前)の僕も、未来(極後)の僕も、知らない(今の)君でもいいよ、とも取れる。
刀剣男士 加州清光 情熱のSymphonia 歌詞 - 歌ネット
極一歩手前~極になってからの話。
セレナーデは恋人や女性を称えるために演奏される楽曲、あるいはそのような情景のこととされる。
「アモーレ アモーレ 泣かないで 僕だけを信じて
どんな悲劇も どんな闇も 全て受け止めるよ」
「僕だけを」という部分で、独占欲が強い事が解る。
受け止める=事柄の意味をしっかりと理解する。自分の問題として認識する。
「アモーレ」という響きに誤魔化されている気がするが、よく考えなくても「アモーレ=愛してる・愛する人」なので、全体的にかなり主を愛している。
「アモーレ・ミオ」だと「僕の愛する人」だが、「ミオ」とは言わないので、この曲における清光も、主の一番ではないのかもしれない。
刀剣男士 加州清光 Promise You 歌詞 - 歌ネット
やっと日本語で好意を示した曲。
情熱のSymphonia同様、恋愛ソングだと思われるが、清光は自身が一番であろうとなかろうと主を愛していて、こういうので、それって相当ヤバイのでは?となる。
「I promise you いつでも I"ll be with you きっとだよ」
「約束するよ」と言われ、清光を愛する主なら「うん、約束ね」となるが、そうではなくとも言うとなると、加州清光の愛の底知れなさが段々怖くなってくる。
というか、「うん、約束ね」を引き出す為に言っているようにも聞こえる。
出逢えたなら それだけでいい
いつも通りを 二人だけで
歩けるなら 僕らはそれだけで幸せだよ
本丸にはもう80振近く刀が居るはずなのに「二人だけで」といっている辺り、独占欲が強すぎるというか、最早周りを見ていなくて、そういうとこも好きだなぁと思う。
「僕らはそれだけで幸せだよ」も「そうだね」と思ってしまう。幸せを勝手に決められているが、まぁ清光になら問題ないか……となってしまっている。これが洗脳?
「また明日も二人が 幸せを繰り返せるように」
最早言う事すらない。この曲を聞き終わる頃には、清光と約束した気になっている。
(加州清光を愛しすぎてこんなド長い考察を書いている奴が書いているので、考察にならなくて申し訳なく思えてきた。)
単騎2018~アジアの曲は、全て極一歩手前~極ソングだと思われる。
「君が笑うのなら修羅も温かい」
「どんな痛みもどんな時空も
不思議なほど恐れはないんだ 君がいれば」
加州清光にとって主がどれだけ大切な存在か解る。
「BE IN SIGHT」然り、刀剣男士は、主が自分の傍で生きていて笑ってくれるだけでいいと思っている事が、尊い。刀の神様を感じる。
「心宿った瞬間を永遠と呼ぶのなら
Just it 僕にとって君は全てでしかない」
これに関してはもう全加州清光の女が沸いた。光に焦がれて溶けて消えた。衝撃。
(ちょっともう自分が何の話してるのか全然わからなくなってきた……)
「これ以上何も求めない」
「Promise You」「星の彼方へ」と聞いて、「もっと求めていいんだよ」と思ったが、よくよく歌詞を見ていると、加州清光は結構求めてきていたので、問題なかった。
刀ミュの曲はどれも、2205年の刀剣男士が2015年~の主に向けて歌っている感じがあるが、この曲はそれが明確である。
2205年に顕現された清光は、2015年~2204年までに出逢った主の事を知っている。(おそらく死ぬまでの全てと死んだ後も)
「懐かしいはずもないのに 瞬間に感じた
何処かで出会ったのような 悠久のまなざし」
「そして これから 僕らは再会する 巡りゆく世界と何回でも」
「そして ここから 僕らは再生する 巡りゆく世界と何回でも」
「終わらない旅を続けていこう」
「果てしない旅を続けていこう」
2205年に顕現された刀剣男士達にとって、今現在(2019年7月)は既に過去。
それを守る刀剣男士達は、実質無限ループしている。
「心の限りずっと」
は、忘れ去られてしまえば、存在が消えてしまうという(神様や妖怪的)概念なのだろうか。
■単騎の衣装
仮面=身分を隠すこと
単騎の赤黒軍服と極衣装は、恐らく軍服ベース(全体、特に肩の装飾)
ボーイズとの類似点:仮面、手袋、衣装ベース
ダンサー(ボーイズ)達の衣装が軍服っぽい
情熱のSymphoniaではボーイズの衣装が清光仕様ではなく2部仕様になってる
=極になって、集合体から個の加州清光として自我が固定された
が、その愛の形は色々あると思います。それこそ本丸の数だけ在るはず。
以上で、2019/07/02時点での考察を終わりたいと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
(刀ミュ清光ソロの考察はまた別記事で詳しく書きたいと思います。)
沢山の加州清光が、沢山の主に愛されますように。
そして、一番になれますように。
加州清光、極一周年おめでとうございます!!愛してるよ清光!!
ご意見・ご感想などありましたら、こちらまで。
自分以外の加州清光解釈も聞きたいので、些細な事でもお気軽にどうぞ!
■
マシュマロありがとうございました。
頂いたマシュマロの返信は
【2021/10/29追記 記事再度投稿予定です】
▼感想
正直、ここまで長くなる予定ではなかった。眠い。最後もうただの感想では……
現在02:31です。清光極一周年絵がまだ途中ですが、清光への愛のパワーで今日中には間に合わせる予定。寝て起きてから、続きを描きます。
加州清光に惚れてから毎日のようにしている考察、ほとんどの内容が公式と解釈合致(したと思ってるの)で、私予言者かな……って思いました。
清光は清光が一番じゃない本丸でも同じ事言うって気づいてから、もう全本丸の加州清光に一番になってほしいというか、せめてどんな形でもいいから報われてくれ……と思うようになりました。
我が本丸では当然清光が一番だし、主は清光を100%解ってると思ってるので、報われてると思います。うちの清光は愛されてる上に一番なので相当強い個体です。愛してる。極一周年おめでとう。これからもよろしくね。
勿論、私は我が本丸の清光を一番愛しています。が、やっぱり加州清光が好きなんですよね。というか元々沖田総司も好きなので、集合体説を説く度に、清光の中に沖田さんを探して「どこに居るの……」となっていました。集合体説であろうが、沖田総司の影響力は凄まじいので、単体でないにしても清光の中に沖田さんは居るんですが、この考察も、清光を知る為に清光を探して「どこに居るの……」となっていたので、わけがわかりません。
刀剣乱舞において、極前は元主との物語だから考察できるんですが、極になってからは本丸での物語であり、主と紡いでいく物語なので、考察もくそもないですよね。清光を知ろうとしてるのに、自分を探してるみたいな感覚になってきて、途中めちゃくちゃ鬱になりました。けどやっぱりそこまでの過程は絶対に必要だし、過去があるから現在・未来があるので、この考察にも意味があると思いたいです。
ちょっともうまた何言ってるのかわからなくなってきたので、そろそろ終わります。
その内、清光大好き~愛してるよ~っていう記事を書くかもしれません。
内番(馬当番)
「馬の肉ってうまいらしいよ。……親父ギャグじゃねえよ!」
清光の親父ギャ……シャレ、めちゃくちゃすきです。
過去の私↓
結局「愛されなかった過去についてどう思っているのか」「折れたことについてどう思っているのか」等々過去についての一切を語らなかった加州清光、主へ想像の余地を与えてるところも「ずっと俺を見てて」という計算では?と思うので、加州清光は相当賢い。強い。愛してる。
加州清光は過去も真意も何も教えてくれないのに、主の「どんな悲劇も どんな闇も 全て受け止めるよ」っていうの、強くないですか?主の事は全て知ろうとしてるのに、全て知ってるのに、自分の事は一切語らず口を閉ざし隠して、主の理想を体現するから「あんたの一番になるから」と、いま愛される為なら何でもする。
加州清光極は過去も真意も何も教えてくれないって言ってたけど!!あれは嘘だ!!手紙にちゃんと書いてある!!いや書いてはない!!書いてはないけど、行間を読めば解る!!大丈夫!!加州清光は主をちゃんと愛してる。
(極後の台詞)賛否両論で物議をかもしてるらしいけど、加州清光は“主を愛してるから”こんなこと言うのであって、主を愛してなかったらこんなこと言わないからな??
今まで濁すことしかできなかった、さりげなく聞くことしかできなかったのが、極でやっと自分の言葉で言えるようになったんだよ。加州清光はめちゃくちゃ成長した。好きも嫌いも言葉にできるくらい、成長したんだよ。
清光の主なのに「清光はこんなこと言わない」とか「もっと優しい子だった」みたいな事言ってる奴片っ端から殴りてぇ。清光は主に近づくことで感情を認識し、自分の言葉を持てるようになったんだよ。優しさは変わってねぇよ。むしろ増えたわ。他の誰が主を嫌いになっても、俺だけは愛してるよって、あんたを絶対一人にはしないから。ってことだよ??優しさしかない。尊い。
情熱のSymphoniaを聞くと、皮が冷たくて中が熱い心臓が思い浮かぶ。
加州清光の愛って、皮(外側)からはハッキリとわからないけど、中(主)には解るようにできてるんじゃないだろうか。